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jellyfishのひとりごと

観て、食べて、試して…重箱のスミをつついて(?)感想をつぶやいております♪

舞台 【 清玄阿闍梨改始於南米版 桜姫 】 コクーン歌舞伎、2009年6月


20090616113926


バラバラに舞台のチケットを取っているのですが、
不思議と似たような舞台を集中して観るようになるのです
少し前は昭和を見直すような舞台が多かったのですが、
最近はどうも、新しい・歌舞伎の時期のようです

桜姫東文章】を現代劇にした舞台
<せいげんあじゃりあらためなおし
      なんべいばん さくらひめ>を拝見しに
コクーンに行って参りました

勘三郎丈(当時は勘九郎丈)が串田和美さんと
コクーン歌舞伎を始めて、今年で15年
10回目を記念して、今年は2ヶ月公演です。
【桜姫】は4年前、コクーン歌舞伎で上演されていますが、
勘三郎丈は襲名披露公演の年でしたから、
その時は参加されていませんでした
その【桜姫】に勘三郎丈を加わり、演出・キャスト等を一新して、
6月は桜姫の現代劇、7月は原作そのままに
新歌舞伎を上演するそうです。
脚本を手掛けるのは長塚圭史氏…どうなることでしょう。

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ネタバレあり…の私的(辛口)感想です
 

原作のストーリーをまず、ご紹介。
()の名前は今回の舞台での名前です。

16年前、同性愛の白菊丸(ジョゼ)と心中しそこなって
生き延びた高僧・清玄阿闍梨(セルゲイ)。
ある日、婚礼を控えた公家の娘・桜姫(マリア)が
出家を望んでやってきます。
生まれてから開かぬ左手を悩んでのことでした。
清玄が祈ると桜姫の左手が開き、その手の中にあったのは
若き日に清玄が白菊丸に与えた香箱。
清玄は桜姫が死んだ白菊の生まれ変わりだと気付きます。

一方、桜姫の前に現れたのは、悪党の権助(ゴンザレス)。
かつて桜姫の操を無理やり奪った男。
その夜以来、桜姫は権助を忘れられず、
人知れず、赤ん坊を産んでいたのです。
桜姫は再び出会えたことを喜び、許婚がいる身で
権助と契りを結んでしまいます。

清玄は(心中の生き残りを悔いて)
桜姫との不義密通の冤罪を被って死に、
権助の妻となった桜姫は遊女として売り飛ばされます。
その後、清玄と権助は実は兄弟だったことが分かり、
さらに、権助が自分の父を殺した犯人であることを知り、
公家の誇りを取り戻した桜姫は
権助と我が子までも殺して、名門の家の再興を誓います。


あらすじで分かると思うんだけど、
元々が奇想天外っていうか、
『えぇ~そんなの有り』っていう狂言。
それでも、長い間にそれなりに捏ねられて、
ちゃんとした形に決まっているわけです

現代版は舞台を、
混沌として貧富の差が大きい戦後の南米に変えています。
4人の人間関係はほぼ同じだけど、
(4人と言っても、白菊は出てきません)
【桜姫東文章】がベースと考えるより、
あくまでディテールだけと思った方が良いみたい。

清玄は貧民の救済に熱心な神父セルゲイ。
常に大きな十字架を背負い(ホントに背負っている
過去にこだわり、十字架のように背負っている。
でも、懺悔の日々と言いながら、何となくあやしいのよねぇ
心中出来なかったことを悔いて、『一緒に死のう』と、
大騒ぎするけど、ホントのところ、生への強い未練がぷんぷん。
その辺、白井さん巧い

そして、勘三郎丈の権助は野生的な悪党ゴンザレスに。
原作の権助より、悪党っぷりは弱いかな、もっと人間臭い。
みっともないほどの生きることへの執着。
こちらはセルゲイとは逆に過去を忘れて生きている。
合わせ鏡のような生き方だけど、
根っこはひとつ、のようなところは
原作の兄弟という流れをくんでいるのかな

そして、理解が難しいのが桜姫。
16歳の若い娘マリアになってます。
でも、墓守2の役もしのぶさんが演っていて、
笹野さんの墓守1と共にストーリーテラー的なの。
時間や空間を超える墓守がマリアさえも演じていて、
男たちの人生までも変えていくって感じ。
そうしないと『マリア16歳よ』と言った時の
しのぶさんの乾いた笑いがおかしいような。
まぁ~あんまり考えちゃいけない話なんだろうな。これ
笹野さんは墓守以外にも何役もやっていらして、
この悲劇をひっぱっていく、時間の旅人のような。
悪魔のような…辛味が利いてます。

この4人だけでも強烈だけど、更にセルゲイの弟子から
ゴンザレスの弟分に転向する、
超現実主義者のココには古田新太さん。
どんなに汚らしい役を演っても、
可笑しみがあって、どこか愛らしい本領発揮

桜姫の侍女からココを深く愛する愛人へ。
情愛深い女として開眼、お金の為に(
見世物小屋で蛇を食いちぎる猛女にまでなる
イヴァには、秋山菜津子さん。
魅力的で幸せな生き方をした女性でした

とにかく、曲者の役者さんばかりですが、
道具の少ない舞台いっぱいに
それぞれがぶつかり、舐めあい、組み合い
不思議な調和をかもし出していました
さらに、ワタシの大好きな井之上隆志さんも出ていて、
今回は久し振りにパーカッションも聞けて嬉しかったわぁ


『財産になるか、やめればよかったかは
 やってみないとわからない。
 でも、いつもやらないよりはやったほうがいい、
 と行動して今日まで来たんだ。
 失敗したらベロ出して「ごめんなさい」と言えばいい。
 そのたびに驚いたり、逃げたり、
 はりきったりして芝居は作るもので、
 うちのじいさんの時代には歌舞伎も
 そんな「びっくり」の連続だったと思うんです。
 それがいつの間にか、型を習うお勉強になっちゃった。
 歌舞伎が現代劇であるためには、
 いつも自分なりに目の前にあることに疑問を持って、
 壊したり変えたりすることに挑戦し、
 その結果誰より自分がびっくりしたい。』

と、勘三郎丈がご自分でも言っているように、
賛否両論の舞台であること間違いなしです

ワタシは歌舞伎を壊して改築する舞台の
初めを目撃したという印象
完成形はまだ先にあるのだろうというのが正直な感想
歌舞伎でいろんな試みをするのは賛成なのですが、
【桜姫東文章】はただでさえ、ぶっとんでる狂言なので、
現代劇に焼きなおす話として合っていたのかなぁ
というところもやや疑問があったり…



原 作  四世 鶴屋南北
脚 本  長塚圭史
演 出  串田和美
出 演  秋山菜津子、大竹しのぶ、笹野高史、白井晃、
      中村勘三郎、古田新太  他 ( 50音順 )




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テーマ:観劇・劇評 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2009/06/16(火) 22:39:29
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